40年ぶりに競馬に復帰したのだが、以前と大きく違うのはJRA(日本中央競馬会)自身の競馬サイトからWEBで馬券が購入出来る「即PAT」という名称のサービスを使い、銀行口座を登録さえすれば混み合った場外馬券売り場に出かけて行ったり、行く人に頼まなくても馬券が買えるようになった。
馬券も100円単位で購入でき、気軽に投票できるだけでなく、競馬場に行って馬券を購入する様にレースの発走の5分前まで購入できるので、TVでパドックの様子を見てからでも購入出来るし、リアルタイムでオッズ(配当)を確認しながら投票金額を決めることが出来る。
復帰してからは1〜3着全部を枠でなく馬番号で選び、その3頭が1~3着に入りさえすれば順位に関係無く当たりとなる3連複という馬券を購入しているので、昔の馬券の中心だった1〜8の枠番号で1〜2着までの馬を当てる枠連より配当も良く、3頭の内2頭が本命サイドでも、残りの1頭が人気薄であれば簡単に100倍以上の配当になるので楽しめる。
元々競馬を儲けることを目的にやらずに、結果的に儲かればそれに越したことはないという気持ちでやっているので、好きな馬や騎手を追いかけて応援馬券の気持ちで買っているので、これからも気軽に続けられそうだ。
ただ競馬を始めとしたギャンブルはあくまでも遊びであり、生活に関係ない自分のお金の範囲内で行うのは基本中の基本であることだけは忘れないで欲しいが、興味のある人は「JRA即PAT」で簡単に見つかるのでどうぞ。
40年間全く離れていた競馬を昨年から復活して馬券を買うようになった。
以前と違い1レースに2千円〜1万円しか投入しないと決めていて、基本的にG1レースしか買っていないので、外れてしまっても大きな損はないし、40年前には存在していなかった3連複という1位〜3位の馬3頭を予想する馬券が面白く、配当も当たる確率もそこそこ良いので楽しんでいる。
当たり前だが、他のギャンブルとの一番の違いは馬という動物が主役であることで、血統が大きく馬の能力にも関係して、短距離向きの馬、長距離向きの馬、先行型の馬、追い込み型の馬などの脚質の違いや、父馬、母馬などの走りを見ていたので、その子供を応援したいという気持ちが大きく関係する事が最大の違いだろう。
何十年も前のレースの特定の馬の走り方を覚えていて、スタート〜道中の位置取り〜最後の直線での走り方までいつまでも記憶に残っていたり、いつもは追い込む馬が逃げて勝利を掴んだりと、もの凄い数のレースの映像が自分の頭に残っていて、3歳馬しか出走が出来ないクラシックレース(牡:皐月賞・ダービー・菊花賞/牝:桜花賞・オークス・秋華賞)を中心に毎年動いていたり、機械を介して争う他のギャンブルレースと違って感情移入の度合いが明らかに違う。
大好きだった世界一にもなったイクイノックスが昨年引退して種牡馬になったが、彼のいる牧場で彼の父親でもあるキタサンブラックと同じ厩舎の向かいの馬房に収まり、出来る事ならその厩舎に逢いに行きたいという感情は競馬以外では起こらない特別な感情だろう。
単純に儲ける為だったら競馬ではない方が向いているのかもしれないが、好きな馬を追いかけたい、好きな血統を追いかけたいの方が儲けより優先されるのは他のギャンブルではあり得ないだろう。
競馬も騎手がコントロールするのだが、一般には馬の能力が7割、騎手の力が3割と言われている様に、競技者の能力が全てである他のレースと違い、やはり動物に対しての思い入れが競馬を面白くしている最大の魅力だろう。
昔20歳〜30代半ばの頃は結構競馬に凝っていた。
ただ競馬に限らず賭け事は胴元が儲かる仕組みになっていて、長くやっていれば必ず損する事がわかっているし、競馬は自分の好きな馬や血統を追いかけていたので当たらない事も多かったが、基本はそのお金がなくなっても一向に構わない範囲で買うようにしていた。
勿論一度儲けて、そこで辞めてしまえば収支プラスで終わることが出来るのだが、人間一度儲けた場合そこで辞められないのが性であるので、例えば競馬に関しては、生き物なのでその馬の父親、母親の走っている姿を知っているという血のつながりを含めて予想したり、研究したりする過程が楽しく、その楽しんでいる時間を貰っているし、走っている姿を見ているだけでも美しいので、外れても楽しみ代だと割り切っているし、もし好きな馬で儲けることが出来ればそれこそ儲けものだと思っている。
昨年の春、理由はハッキリ覚えていないのだが、急にまた競馬をやりたくなって、春のG1クラシックレースからG1のビッグレース限定で40年ぶりに買い出した。ただ元々好きな馬を作り、その血統などを調べることが好きだったので、空白の40年近くは結構大きなロスであり、聞いたことのない馬名や血統を理解するだけで結構時間が掛かった。
昔は馬券は基本特券(千円券)単位だったのだが、今はJRAに登録してWEBで100円単位で購入出来るのは有り難く、復帰後は主に3連複という馬券を購入しているが、1〜3着を馬番で当てるのだが、3連単というのは1〜3着の順番も当てなくてはならないのに対し、3連複というのは選んだ3頭がどの順番であってもOKなので、配当は3連単より悪いが、それでも1〜2着を当てる連勝複式よりずっと良い。
これからも買うレースも絞りながら、買う金額も絞りながら細く長く続けて行きたいと思っている。
以前からお金の使い方が極端だなと思っている。
人間だれしも自分の好きな事に使うお金の金額は、そうでもない事に使う金額より多いものだろうが、使うのは好きな車、自転車、カメラ、デジタルガシェットなどに集中していたと思う。
僕の場合は昔使えるお金が多かった時代でも夕食に数万円する様な所より、安い焼き鳥屋や定食屋の方が遥かに好きで、フランスの宝飾メーカーの新社長が日本就任後夕食に誘ってくれた時も、向こうから提示してくれたバカ高いフレンチを断って、態々カジュアルな安めの店にしてもらった。
これに関しては凄く良い食材を使って高い値段の店は美味しいのが当たり前であり、それよりもリーズナブルな値段で美味しい料理を出す料理人のほうが、ミシュランの星などを貰っていなくてもずっと上の料理人であり店だと思っているからで、どんなに美味しくても食事に高い金額を使ったり、人に使って貰う気がしない。
洋服もビジネス用に良いスーツを2着ほど持っていた事を除けば、周りの人達がよく着ていたブランド物のスーツや、数万円する様なセーターも着たことも興味もなかったし、現在ではユニクロとZARAだらけになっている。
母親が大阪出身のせいか、安く買えた自慢はするが、高い良いもの自慢はしたことはないし、高い物自慢をしている人を見ると、金額に頼らずに品物より自分を自慢出来る様になれよと思ってしまう。
その延長上で、ブランドが一目で判る品物を持つことに凄く拒否感があり、何故お金を使ってブランドを宣伝して歩くのかが不思議で、ブランドが判らなくても良いものを自分で見極める力がない可哀想な人だからだと勝手に解釈している。
カラオケは仲の良い友人たちと行くのは勿論好きだが、一人カラオケも好きでよく行く。
カラオケ自体は飛沫の飛ばし合いでもあるので、コロナ禍以降は一度も行っていないが、一人カラオケならそろそろ解禁しても良いかなと思っていたがまたマンボウが始まってしまったので、もう少し我慢と思っている。
特に自分ではアップテンポや乗りの良い曲よりも、バラードで声を張り上げて歌い上げる様な曲の方が好きなことと、自分がプロ並みに上手く唄えるなら別だが、そこそこ程度だと、1〜2曲は良いのだが、そういう自己満の曲ばかり続くと、一緒に行った人達に引かれてしまうだろうと思うのも一人カラオケに行く理由だろう。
新しい曲もよく唄うので、僕にとっては一人カラオケは初めて唄う曲やまだ上手く唄えない歌の練習の為でもあるのだが、それ以上に自分の楽しみの為という意識が強い。
結局唄うこと自体が好きで、皆でカラオケでワイワイ騒ぐのと同じくらい、好きな曲を好きなだけ失敗もしながら、練習しながら唄うことが好きという事なんだろうと思う。
でもカラオケって本当に気持ちいいと思う。
日本史が好きな人なら勿論、それ程でもない人でも一つくらいは興味のある時代があるのではないだろうか?
僕自身学生時代の勉強不足で日本史の知識は酷い物だったが、1年半の欧州留学時代の頃は、日本に関する記事や情報などヨーロッパでは余り紹介されていない時代で、会う人会う人日本の文化や歴史の事を訊かれ、余りに知らない自分に愕然とし(インターネットなどない時代だったので)日本から書物を送ってもらって勉強をし直した。
その結果日本史が大好きになり、実歴史だけでなく司馬遼太郎、山岡荘八、池波正太郎を初めとした歴史小説を読みあさった事も有った。
その中で特に興味を持ったのが戦国時代、江戸時代、明治維新の3つの時代であり、例えばNHKの大河ドラマの多くはそれらの時代の物語でもあることから、大河ドラマは殆ど観るようになった。
更にその中でも一番好きで一番知識もあるのが戦国時代であり、斎藤道三以降関ヶ原、大阪冬の陣、夏の陣を経て江戸時代になり、戦国時代が終了するまでの武将同士の細かい繋がりや関係、彼らの考え方を含めて相当詳しくなったと思う。
だからこそ今放映中の大河ドラマ「麒麟がくる」はもの凄く好きな要素と知っている知識が詰まっていてとても楽しみだが、コロナで変な中断があったので、ちょっと間が抜けてしまったのは残念だ。
この大河は明智光秀の前半生が描かれると言われているので、本能寺の変まで放映されるか定かではないが、光秀の前半生は実は謎だらけで、大河で今まで描かれている分も多くはNHKのフィクションで占められている。
本能寺の変に至る理由もいくつもの説があり、本当の理由が未だに明らかになっていないばかりか、実は京都山崎の山中で殺されたとされている光秀は影武者で、本当は仏門に入り長生きしたという話しもまんざらウソと決めつける事も出来ないし、本能寺の変の本当の黒幕は秀吉だという説もウソとは決めつけられないが、こうした「もしかしたら」という事を考えるのも歴史の面白さだろう。
緊急事態宣言が出た後で、関東圏で唯一開いていた茨城のパチンコ店に人が群がったり、都内のパチンコ店が一度クローズした後でオープンし、直ぐ横に並んでパチンコをしている人達の姿が映し出されると、怒りよりむしろ悲しく空しく感じてしまうのは僕だけだろうか。
勿論パチンコ店の人々にも生活があり大変なのは判るが、それは全ての人にとって同じ事で有り、生活物資を販売しているスーパー、ドラッグストア、コンビニや、生きる事に必要な食べる事に関した一部のレストランや、テイクアウトの弁当を売るために、必要な処置をした上で店を開けるのは理解出来るが、パチンコ屋はどう考えても不急不要の店であり、来ている人へのインタビューで「家にいてもつまらないし、やることがないから」という答えを聞くと絶句してしまう。
良く言われる様に「自分は感染しているけれど症状が出ていない人である」という事が全ての行動の基本だと思わなくてはいけない時期であり、絶対に誰にも移さないことを心がけなくてはならないのに、自分は具合が悪くないからとマスクもせずに外にでるという余りに身勝手で自分の事しか考えていない人が未だ未だいる。
湘南ではサーファー達が非常事態宣言前より6割も多く訪れているそうで、僕自身ゴルフ場に車で行ってラウンドして帰ってくる事は、ほぼ感染リスクはゼロだと思っているが、それでも3月最終週以降は予定のゴルフは全てキャンセルしているし、パチンコもサーフィンもゴルフも自分の楽しみだけの為に行う行為は、自分の為にするのでなく、他人の為にしない時期だという事を思っていない人が多すぎる。
全体論で言えば、西洋と比べたら日本人は言うことをきく民族であり、規則もキチンと守る民族であることは間違いないが、悪びれることなく行動する一部のこういった人達が日本人にいることは本当に恥ずかしい。
法律上強いお願いは出来ても禁止が出来ない事自体おかしく、完全なロックダウンで1ヶ月の不便の方が、だらだらと半年間(半年で済めばいいが)終息を待つよりずっと全ての人にとってプラスだと思う。
中学生の頃からカメラが好きで一眼レフに長い玉(望遠レンズ)を付けて富士スピードウェイなどのサーキットに良くカーレースを撮りにいった。
その頃はまだオートフォーカスどころか、露出も完全自動ではなく、ある程度自分の経験から値を決めて撮るのだが、フィルムカメラなので、現像をしてみないと写りが確認できず、結構無駄打ちのコマも多かった。
出来た写真も芸術的な綺麗な作品を作ることより、シャッターチャンスが全てという考え方で、二度と訪れないシャーターチャンスを如何に逃さずに撮るかを重要に考えていたので、じっくり構えて撮るのでなく、取り出す➡構える➡シャッターを押すという使い方で、古いカメラに詳しい人なら納得だと思うが、絞り優先のカメラ作りをしていたニコンよりシャッター速度優先のキャノン派であった。
その性か僕が撮る写真の殆どには人物が入っていて、景色の写真は殆ど撮った事が無い。逆に言うと僕にとってのカメラは人を撮るための道具であるようだ。写真好きの友人がいるのだが、彼の撮る景色の写真は素晴らしく、完全にプロの領域であるのだが、僕はどう逆立ちしても彼のような素晴らしい景色の写真は撮れない。
ただ、よくよく考えてみると、僕は写真好きではなくカメラ好きだと思う。
カメラに格好の良いフードを付けたり、ジボ革を買ってきて本体に貼ってオールドライカ風に仕上げたり、本体に初めから付いているメーカー名の入った両吊りのストラップは捨て、如何に格好の良いストラップを付けるかなどカメラのパーソナライズ化には相当力を入れている。
酷いときには同じ一眼カメラの新型が出た時に、レンズは使い回せるので、それまで使っていた旧型のボディを売って新型に変えたとき、その旧型では買った当初からいじくり回して自己満足に浸っていたのだが、結局売るまでに100枚も写真を撮っていないことさえあった。
それにしても最近のカメラはスマホに内蔵のモノでさえ素晴らしい写真が撮れるようになり、普段から持ち歩いているモノだけで写真を撮る事ができ、特に重い一眼カメラは殆ど持ち出す事さえもなくなってしまった様に、昔のフィルムカメラで一々現像をしていた時とは正に隔世の感がある。
大昔高校生の頃、フォークソングブームに倣いギターを購入した。
義理の兄が職業として歌舞伎等の三味線弾きだったのだが、仕事で三味線を弾き、趣味でギターを弾いていたので、彼にギターを教えて貰い、まだ世の中にカラオケというものが存在していなかったので、何か唄いたいときは専ら弾き語りをしていた。
というと格好良さそうだが、決して上手くはなかったので、コードの押さえ方も主に簡易的なもので誤魔化しながら、格好だけは一丁前に世のフォークソンググループを模しながら弾いていた。
高校・大学時代は結構弾いていたが、その後大学を卒業する頃は殆ど弾くこともなくなり、タンスの肥やしになっていたが、いつしか行方不明になってしまい、その後サイレントギターを買って暫く使っていたが、肝心のアンプが壊れ、スピーカーから音を出すことが出来なくなってしまったので、情けない程の小音量でしか音が出なくなってしまい、それ故弾かなくなってしまったが、最近また急にギターを弾きたくなって、新しく買ってしまった。
今度はアコースティックのフォークギターだがアンプを内蔵したエレアコと呼ばれるタイプで、普通に弾けば普通のアコースティックギターとして使う事が出来、アンプに繋いでスピーカーから音を出すことも出来る。
種類は沢山ある中でピンキリのキリの1万円台の製品で、アンプのコントローラーと共にデジタルチューナーが内蔵されているので、頻繁に調整しなくてはならないチューニングが凄く楽にできる。
窓とドアをしっかり閉め、外に出来るだけ音が漏れないようにしながら自己満足で弾いていると、高校生に戻った様でとても懐かしい気持ちになれる。
カラオケが生まれたのは多分僕が小学生か中学生くらいの時ではないかと思うのだが、初期の頃はカラオケボックスが存在していなかったので、大勢の他人もいる中でステージに上がって唄うというのが普通だった。
その頃のカラオケは大嫌いで、唄わされそうになっても何とか逃げて唄わないで済む様にしていたが、ある時北海道のトマムに10人くらいの友人とスキーに行ったとき、夜全くやることがないので、トマムの占冠村に一軒だけあったカラオケ店にみんなで行く事になり、そこで無理矢理唄わされたのがキッカケになり、偶々その日そのカラオケ店に来ていた当時の観音さんという占冠村長とすっかり意気投合して、盛り上がったことからカラオケが好きになり、それ以降東京でもカラオケに時々行くようになった。
それでも大勢の他人もいる中で唄うのは決して好きではなかったが、幸いカラオケBOXが出来てからは気の合う友人達だけで一部屋使う事ができるようになり、最近では一人カラオケさえも行くようになってしまった。
カラオケに行くようになって一番変わったのは歌詞をちゃんと覚えなくなったことで、昔はギター片手に唄っていたこともあり好きな曲の歌詞やギターコードは結構な割合で覚えていたのだが、カラオケでは歌詞が画面に表示されるから覚える必要がなくなり、余程くり返し唄っている歌以外は歌詞をあまり覚えなくなってしまった。
それにしてもカラオケ文化はもはや日本だけのモノではなくなり、韓国や台湾、ハワイなど日本人がよく訪ねる場所以外も世界中に拡がり、以前スイスの取引先の社長もすっかり気に入って、まだレーザーディスク全盛の時代だったので、知り合いの第一興商の友人に頼んで業務用のハード、ソフトを一式スイスに送った事もあった。
カラオケを最初に考えついた人には是非ノーベル賞を差し上げたい。