
この頃スマートフォンやタブレットで100冊以上の雑誌が読み放題になるアプリが幾つか出てきている。
今まではビューンというアプリを使ってきていたが、多くの雑誌を見ることが出来るのは便利なものの、それぞれの雑誌の全ページが見る事が出来るのではなくて、肝心の中身の一部が飛ばされて載っているのでもう一つ積極的に見ることなしに使っていた。
最近ドコモがドコモのユーザー以外でも使えるdマガジンという同様のサービスを始め、提供している雑誌数も160紙とビューンより多いだけでなく、全部とは言わないまでもビューンで飛ばされているページの多くが載っているのでビューンよりずっと見応えがあり、無料期間のテスト読みをしている最中だが、iOSのアプリもそこそこ使い易くとても良い。
それ以上にともかく便利なのはパソコンのブラウザでも見ることが出来る事で、iMacであれば見開きの2ページを表示させても実際の紙の雑誌と同様に快適に見る事が出来る。
更によく読む雑誌はお気に入りに登録しておけば毎回簡単に選べるし、雑誌に関係無く気に入ったページは100件までクリッピングしておける。
バックナンバーも読むことが出来るし、ダウンロードも可能なので、オフラインでも読むことが出来る。
紙の雑誌は一度目を通すと99%はそのまま資源ゴミ化してしまい、置いておく場所も取るし、纏まると相当重いが、アプリを使うと、その重さや纏めてゴミ置き場に持って行くことから解放されるだけでなく、雑誌1冊より安い価格(dマガジンの場合400円/月)なので、月間の雑誌代が大幅に節約されるだろう。
ただ正直言って、いくら便利でもiPhoneの画面サイズではあまり読む気がしないので、僕はiPadとMacだけで使用しているが、タブレットとパソコンを持っている人であれば相当便利でお薦めだと思う。

雑誌不況と言われ始めてから大分経ち、特に僕が好きな車関係の雑誌は相当苦しいという話を良く聞く。
昔1960~80年代、自分にとって「CAR GRAPHIC」紙は一種のバイブルの様な存在で、毎号、発売日の毎月1日の前の日の夜に手に入る書店を見つけて、必ず前日にゲットしていた。
代官山の蔦屋書店で、車に限らずそういった雑誌を自由に珈琲を飲みながら見る事が出来る場を提供してくれているので、以前より多くの車雑誌を見ているが、それらを見ると車雑誌が苦しいのは当たり前だと思う。
「CAR GRAPHIC」も含め、どの雑誌を見ても正直変わらない。日本車のデザインが皆同じ方向で代わり映えしないのと同じくらい皆同じだ。
「CAR GRAPHIC」は昔は誇りをもって”自分たちは新車の予想記事だけは絶対に書かない!”と豪語していたのだが、いつからか他誌同様に新車の予想記事を書くようになってしまった。
しかも残念ながら日本の雑誌社の記事はいわゆる提灯記事に溢れていて、メルセデスの悪口を堂々と書いている記事を見たことがない。
噂では、外国の主要メーカーの車の悪口を書くと、次の新車発表会、試乗会に呼んで貰えなくなり、人気のメーカーの記事を書けなくなると困るのでそうせざるを得ないそうだが、それでは何の為のジャーナリストか判らない。
その中で、イギリス本国の記事の翻訳を中心にした「AUTO CAR JAPAN」は悪いものは悪いと、メルセデスだろうがBMWだろうがフェラーリだろうがロールスだろうが、きちんと書いている。
日本の金太郎飴雑誌と違い、切り口が面白いので楽しみに読んでいたが、今月発売の次号で紙の媒体としては廃刊し、WEBのみになってしまう事になった。
こういった違う切り口の雑誌が更になくなってしまう事は、個人的には本当に残念だと思うが、WEBがこれだけ普及してくると記事のタイムリー性も含めて、紙の車雑誌の未来は相当暗いと思わざるを得ないのは本当に残念だ。


六本木ヒルズの蔦屋でも同じ室内のスターバックスに書店の本、雑誌類を持ち込んで自由に立ち読みができたが、ここでも2階のラウンジに書店の本類を持ち込んで立ち読みというか座り読み自由なので、時々行くことがある。
そこのラウンジで気がついたのだが、壁一面に年期の入った古い本のバックナンバーが置いてあり、それらも自由に見て構わないのだが、ある壁一面に「週刊平凡パンチ」のバックナンバーがもの凄い数置いてあった。
創刊号から全部揃っているのかは判らないが、上の2枚目の写真では下段の右側の黄土色っぽい背表紙以外の本は全て平凡パンチであったので、どちらにしろもの凄い数だと思う。
この平凡パンチは僕が小学校の高学年の頃に創刊された雑誌で、ファッション・情報・風俗・グラビアなどを取りあげていたが、同じ週刊の「プレイボーイ」と二大若者雑誌で、当時としてはセクシー色の強いグラビアもあったので、小学生、中学生としては親に隠れてベッドの下に隠して見ていた雑誌だった。プレイボーイは現在でも続いているが、平凡パンチは1988年に休刊になった。
プレイボーイと違い、表紙は必ずイラストで、初期、中期の大橋歩のイラストがとてもお洒落だった。
全盛期は100万部を越える発行部数を誇り、70年代後半にはアグネス・ラムや夏目雅子などが多く登場していたと思う。
当時は活字だけでなく、ニッポン放送で「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」という番組を放送し、モコ・ビーバー・オリーブという「パンチガール」という三人組が凄い人気を博した。実は松田聖子は1980年のこのパンチガールの一人で、歌手としてのソロデビューから平凡パンチとザ・パンチ・パンチ・パンチが積極的に支援したことが成功に繋がったらしい。
当時のセクシーグラビアといっても、今のコミック誌や一般週刊誌に載っているグラビアと比べれば、セクシーでも何でもないグラビアだったのだが、子供心に毎週の楽しみであった。
何か自分の青春の1ページを思い出す様な気がして、そんな雑誌が壁一面にあるそのラウンジもとても居心地良く感じる。

今年で長女が二十歳になり、来年成人式だが、当日は着物を着る気はないが、着物で写真を撮りたいということになり、先日撮って貰った写真が出来上がってきた。
何枚か閉じた普通の写真館で撮るような写真を想像していたのだが、出来上がったのは本屋で売っているようなちゃんとした写真集で、流石にプロが撮ってプロが作成すると立派なものが出来ると感心した。
前にも京都の祇園で舞妓の着付けをして写真を撮り、外も三十分ぐらい舞妓の格好のまま歩かせて貰える写真館で撮ってもらった時も結構似合っていたが、娘の着物は結構いけるなと、親ばかであった。
以前発行されたスティーブ・ジョブズの伝記本である「スティーブ・ジョブズⅰ&ⅱ」は、発売直後に手に入れ、読んだのだが、今回入院にあたりもう一度読んでみる事にした。
発売直後に読んだ時は本当にサッと目を通したに近い状況だったが、今回改めて読んでみると、本当に扱いにくい変わった人物であるとともに、彼のいいものを作りたいという情熱、細かいところまで本当に拘りたい熱意が改めて感じられ、会社への、製品への情熱がひしひしと伝わって来て、後半の彼の体調への不安と、今僕が病院の病室で読んでいることが若干かぶっている性もあるのか、涙が止まらなくなった。
改めて自分がなぜジョブズが、彼の作り出す製品が大好きなのか、その理由がはっきり理解できただけでなく、自分自身の凝り性の面が、彼のどうしても許せないこだわりと物凄く共通していることを発見した嬉しさもたまらなかった。
1984年に初代のマッキントッシュに出会って、その頃にどんなものか触って見ようという好奇心で使い出していたNECのPC9800というパソコンとは全く考えかたも、デザインも、使い勝手も違う衝撃は今でも忘れられないし、たまたま訪ねたキャノンの01ショップという販売店で1時間ぐらいその場を離れることが出来なかった記憶が蘇ってきた。
それ以降マッキントシュ一筋に使ってきた根っからのアップルフリークとしては、同年代でもある彼がこの時代に出現したことを感謝すると共に、改めてジョブズの冥福と新しいアップル社の経営陣が、ジョブズの精神を忘れずに次々とワクワクする新製品を供給し続けることを願わずにはいられない。

僕も良く購読している小学館のDIMEという雑誌がある。
毎月第一、第三火曜日発売の隔週刊だが、最新号の6月5日号が今日発売になった。
iPadやiPhone用のビューンというアプリを介して読むことも出来る。
良く購読と言っても、最近はそのビューンや、TSUTAYA+スタバでの座り読みも多いが、最新のアイテム情報やサービス情報をコンピュータ、携帯電話、スマートフォン、家電などの機械物だけでなく、レストラン、食べ物、飲み物、バッグ、音楽、映画、リラックス、ノウハウなど多岐に亘ってどちらかというと男性寄りの面白い情報を届けてくれる。
この最新号の特集はランニング&ウォーキングで、もれなく付録にドラえもんの歩数計が付いているのだが、これを目当てに買う人も結構いるらしい。まあ600円なので、ドラえもんの歩数計だけと考えても高くはないが。
ランニング&ウォーキング特集なので、ランニングシューズなどの紹介や選び方、ランニング用時計、ランニング時に使えるアプリの紹介、歩き方やストレッチの方法などが載っているようだ。
だが、ビューンで確認したところ、肝心のランニング&ウォーキング特集の中で載っているのは若干のインタビューと、ランニングシューズの紹介だけな様だ。
それ以上は書店でという事なのだろうが、ビューンが無料なら文句も言えないが、有料である以上その号の特集くらいはもう少し記事を読ませて貰いたい。
しょうがないので、近いうちにTSUTAYA+スタバで内容を確認しようと思っているが、少なくとも僕は取っておきたい内容ならちゃんと購入するつもりなのだが、見せてしまうとそうでない人がやはり多いのだろうか?